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下関ボーイズ(旧:下関ビクトリーズ)は、1965年(昭和60年)に設立した少年硬式野球チームです。

下関市長府扇町を拠点に練習を行っています。
選手は、下関市内、山陽地区(宇部市・山陽小野田市)、北九州市(門司区)と広範囲から入部しています。
各大会は、福岡県筑豊地区(田川市・飯塚市)で主に開催し、九州全域で開催される大会へも参加しています。
(下関から筑豊地区までは、約1時間~1時間30分の移動時間です。)

----------- 部員募集中 ----------

プロ野球のヤクルトスワローズで頑張っている三輪選手、

ソフトバンクホークスにドラフト育成2位で選ばれ只今奮闘中の児玉選手も

下関ボーイズの卒部生です。

指導者を増員して選手の指導に力を注いでいます。
指導者の中には、元阪急ブレーブスの松井コーチもいます。
随時、部員の募集を行っていますので

硬式野球の醍醐味を経験してみませんか。

新着情報

7/24/2016

第98回全国高校野球選手権 山口大会 準々決勝 下関国際高校(4) 対 星光高校(5)

2013年度卒部生の木村和輝君の記事が朝日新聞社に掲載されました。

■兄からのバトン、下の弟へ 下関国際・木村和輝選手

 託されたバトンを、無駄にはできない。

 1点を追う延長十一回裏、2死一塁。2ストライクと追い込まれても下関国際の4番は動じない。木村和輝君(3年)。低めにきた変化球を左前に運んだ。

 兄の優輝さん(18)の影響で野球を始めた。同じ高校に進み、昨夏の山口大会では一緒にベンチ入りを果たした。5番打者を任された兄の背中を追ってきた。

 そのときの決勝戦。5点を追う七回表2死一、二塁の好機で代打に指名された。フルカウントまで粘ったが、結果は三振。チームは敗れ、あと一歩で甲子園の夢が消えた。

 「がんばれよ」。チームを去る優輝さんは、和輝君に一言だけ声をかけた。「必ず同じ舞台に戻って勝つ」。言葉にはしなかった決意を抱いて、厳しい練習を自らに課してきた。4時起床。4時半から素振り。ノルマ1日1千本。坂原秀尚監督も「愚直なまでに野球熱心」と認める。

 練習に裏打ちされた技術の向上は、気持ちを強くした。「食らいつく打撃ができるようになった」。この日、スーツ姿でスタンドに駆けつけた優輝さんは弟の健闘をたたえた。「去年の三振から、今年は打った。興奮しました」

 試合後のロッカールーム。和輝君は、棚に顔を押しつけ、長い時間肩をふるわせていた。やりきった。しかし、だから、悔しい。「決勝の舞台に戻りたかった」。赤い目をしながらそう話した。

 もう少しのところで逃した夢。だが、和輝君には中学3年になる弟の大輝君がいる。兄たちの影響で野球をはじめ、ポジションは投手だ。「大輝には甲子園に行ってほしい」

 バトンはまだ、つながっている。(尾崎希海)

1/2/2016

​児玉龍也君が、下関ボーイズホームグラウンドへ来て選手たちを激励してくれました。

12/16/2015

24期卒部生(平成20年)児玉 龍也君(九州国際大学付属-神奈川大学)が
2015年ドラフト会議でソフトバンクホークス育成2位に選ばれました。下関ボーイズ
も東京ヤクルトスワローズの三輪選手(現役で活躍中)で2人目です。これからも、
プロ野球の夢を追う子供たちの為にも、チーム一丸となって頑張っていきます。

龍也君、おめでとう。これからの活躍を期待しています。
「ご両親に感謝」

下関ボーイズ 一同

7/28/2015

第97回全国高校野球選手権春季山口大会、7月28日に西京スタジアムで行われた
決勝戦、下関国際高校 対 下関商業高校 で惜しくも敗れましたが
下関ボーイズ28期卒部生(平成24年9月)木村 優輝君(下関国際高校 3年生)が活躍しました。

7/24/2015

第97回全国高校野球選手権春季山口大会、7月24日に西京スタジアムで行われた
準々決勝、下関国際高校 対 光高校 で下関ボーイズ28期卒部生(平成24年9月)
木村 優輝君(下関国際高校 3年生)が活躍しました。

4/16/2015

平成27年度春季山口県高校野球大会、4月16日に下関球場で行われた
下関国際高校 対 大津緑洋高校 で下関ボーイズ28期卒部生(平成24年9月)
中島 弘喜君(下関国際高校 3年生)が完全試合を達成しました。

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